記念大会

東葛川柳会創立三十六周年記念大会
講演録「相撲部屋おかみの奮闘記」

記念大会

東葛川柳会創立三十六周年記念講演「相撲部屋おかみの奮戦記」

長岡恵氏(高砂部屋元おかみ)

(講演録)「相撲部屋おかみの奮戦記」を聞いて

杉野ふみ子(当会会員、柏市)

10月28日(土)、「柏市文化祭川柳大会あわせて東葛川柳会創立36周年記念大会」が開催されました。今回の記念講演は、長岡恵先生の「相撲部屋おかみの奮闘記」でした。どんな奮戦記が聞けるやら、記念講演を楽しみにいらした方も大勢おられたようでした。壇上に立ったおかみさんは、「おかみさん」と呼ぶにはあまりにも可愛らしく、軽やかなお声でびっくりいたしました。

「柏は初めてですが、とても温かい雰囲気に、ついつい川柳を作ってしまいました」と、自作の川柳を披露して下さいました。

新弟子の勝って軽やか下駄の音    長岡 恵

会場の皆さんの拍手喝采を浴びて、いよいよ本番へと話は進みます。

主人とは見合い結婚でした。私が会社に勤めていた頃のことでした。友人が商売繁盛の神様の福娘に私のことを応募し、ナント選ばれてしまったのです。その祭事が行われた時、主人(朝潮)がちょうど優勝したのでしたのです。祭事はテレビ中継されていて、キャスターが「朝潮関のファンはいますか?」と問うたのでした。ところが、誰も手を上げません。これはまずいと思って、私がそっと手を上げたら、「どんなところが好きですか?」と聞かれ、「全部です!」と答えてしまったのでした。まずかったことに、テレビ中継がされていたのです。みんなに知られてしまったのでした。

そのようなことがあって、お見合いの話が持ち上がり、結婚することになりました。途中いろいろ悩みましたが、決め手は本人の電話攻勢。加えて、祖父と関取とのツーショットの写真がある日、出て来ちゃったこともがありました。その時、何か「運命」のようなものを感じました。それで、結婚したというわけなのです。

相撲部屋の「おかみ」になるということは、どういうことなのか?皆目分からないまま結婚したのでした。だから、結婚後が大変でした。入門してくる力士たちは、小さい頃からこの世界に飛び込んで来る人が多く、体は大きいが精神はまだ子ども。子どものような力士たちが多かったのです。しかも、育った環境はいろいろで、当然のことながら、一人ずつ違った人格の持ち主です。まずは、信頼関係を築かなくてはなりません。「おかみさん」として、頼れる人になれるよう、努力をして参りました。それには、自分が常に力士たちを応援する側に立とうと決心したのです。もちろん、叱る時もありました。そんな時は、最初に自分の子どもを叱り、その様子を見せることで分かって貰えるように心がけました。個別に叱ったり、人が見ていないところで言い聞かせたりもしました。すぐに泣かれてしまったこともありました。そんな時には、「自分はどうしたらよかったのか?」と、悩むことの繰り返しでした。

楽しいことも、もちろんありました。

高砂部屋になる前の、若松部屋の時。野球チーム(若松ベアーズ)を作り、試合もしたのです。おかげさまで、スポーツ界にも交流等で人脈が出来ました。また親方は、自身の体験もあってか体罰は嫌いで、仲よくすることの方を重要視していたようです。相撲教習所は6ヶ月間必修ですが、そこで読み書きから、世間の常識や相撲の歴史などを教えておりました。
長い間にはいろいろなことがありますが、「力士はみな高砂部屋の看板を背負っているということを忘れてはいけない」と常にみんなに言い聞かせておりました。

つらいことがあった時にも、支えて下さった方々への有り難みが、いま身に沿みております。……といった内容で、講演は締めくくられました。

話を聞かせていただいて、おかみさんの仕事は大仕事だと感じました。自分の子どもだけを育てている私たちとは違って、大勢の他人の子どもを預かっているのですから。並大抵の努力ではないと、改めて感じた次第です。相撲教習所の存在などは、私は初耳でした。相撲は国技です。歴史と伝統を背負っております。おかみさんをはじめ、親方、弟子たち、それを支えている多くの方々がいて、国技たる相撲は成り立っているのです。それが相撲界なのですね。

長岡恵さんはこころ優しく、強く、たくましい方でした。時には笑いを発信してくれる、そんな魅力的なお方だと、お見受けしました。楽しいお話をどうも有り難うございました。

ガンバレ、おかみさん!ガンバレカ士たち!

柏市文化祭川柳大会あわせて東葛川柳会三十六周年記念大会