山田とまとエッセイ

免許返納物語

山田とまとエッセイ

さて今回はタイトル通り、私の免許返納のお話です。自慢でも自虐でもなく一人の年寄りが、免許を返納し車を手離し、公共の乗り物で移動する生活の始まり。現代版隠居暮らしとして、お読みくださいませ。

私が運転免許を取得して、マイカー暮らしをしようと思ったのは、茨城県に住むようになってからです。そこは日常の買い物や医者通いなど、車がなければ生活が成り立たないと思わせてくれる環境の地でした(現在は引っ越しています)

それまでは比較的?都会暮らしでしたので電車バス地下鉄等、公共の乗り物で充分でした。ですから思いたってヒョコヒョコ出かけても、乗り物達はやってきましてン百円位の料金で利用でき、車窓の景色を眺めたり、本を読んだり(当時はスマホはなかった)乗客を観察するのも結構面白かったのです。自分で運転するとなれば、こんな事はできません。そんな経験があったから、マイカーなし公共の乗り物でも大丈夫!と、思えたのでしょう。

最初に車の運転を止めようと思ったのは、三年程前になりましょうか、ちょうど車検の時期を迎え、年金暮らしにそれなりのまとまった出費はイヤだな・・と感じ始めてしまい高齢者の交通事故の報道等も頻繁に見聞きし(そっか、車、止めればいいんだ)と簡単に考え、まだ六十代後半でしたが、返納を思い始めたのです。ですから最初の動機は経済的なことだったかもしれません。

現在私の住むマンションは、近くにバス停もありますし、徒歩圏内にスーパー、コンビニ、ドラッグストア、ファミレス、郵便局等、歩ける足さえ確保すれば生活は成り立つと判断して、返納の思い付きに拍車をかけました。同じ茨城県でも場所によっていろいろで、免許を取ろうと思ったのも返そうと思ったのも、住環境が決め手でした。

そこで、この件を娘に話してみたところ、「エーッ‼」と驚かれ「まだ大丈夫でしょ?子供の保育園の送迎頼みたい時もあるから、まだ運転やめないでよー。」とのお言葉。  世間では、子供が返納を頼んでも親は断る、というのが多いのにウチは反対。まあ確かに時々は孫の送迎も含め、仕事と家事で忙がしい娘に頼まれて車を走らせることもありましたから、彼女の言い分はよく分りました。

正直、その時はまだ運転を好きとは言えないまでも、億劫さや怖さめいたものはなく、(そうだな、まだ手伝えることもあるし運転続けようか)と、これまた簡単に趣旨替え、という脳天気な自分でした。

しかし運転という行為は、疲れると感じ始め、目も疲れますし即の判断や手足の動作が以前よりドンくさく?なっているのは、充分認知しており三十分以上の運転はしない、それ以上の時間が必要な場合は、運転を止め休息をすることと自分の中で決めておりました。

それから月日も過ぎ、また車検の期日が近づいた頃、保育園の孫は小学生となり送迎の必要もなくなったことだし、と改めて返納を考え始めました。それに加えて自分が俗に言うヒヤリハット的な危なっかしい運転をすることに、気付き始めてもいたのです。(ああこの感覚がペダルの踏み間違いになるのかも)と、自分で自分の運転に自信もなくなり、怖くもなりだしたのです。本気で運転を止めることを決めました。

ここで、イヤ自分はまだ大丈夫だ!と気合いを入れ直しガンバル年寄りさんも多いでしょうが、ガンバルとか努力等と無縁の私は、自分の老いにブレーキはかけません。娘にも納得してもらい、車を処分し免許も返納に到りました。

私の住む市では、返納証明を市役所に提出すると一年間市内コミュニティバスが無料というパスがもらえたり(有料でも百円ですが)指定区間であれば十回無料のタクシー乗車カード(有料で五百円)も頂けて、ルンルンの車なしの生活が始まりました。

面白がって用もないのに無料パスで市内を見物がてら乗ってみたり、タクシーも使わせてもらいながら、もうじき返納後一年を迎えます。バス待ちしながらその場限りの他愛ない世間話をしたり、車窓からの景色も他人様の運転ならば、ゆっくり眺めていられます。それに、外食ランチで気楽にビールも頼めたり⁈ この生活に慣れてきて外出の頻度は減りましたが、ゆったりできているかもしれません。

もともと運転好きではなかったことと、地域行政のフォローが返納後の生活をエンジョイさせてくれているかと思います。今はゆるく丁寧な暮らしに近付きつつ、年を重ねること、できないと認めながら、若い人に迷惑を掛けないように、と思い始めています。

山田とまと