コラム

台湾川柳会との交流、その歴史(1)

コラム

HP(ホームページ)を新しくするにあたって、台湾川柳会との交流をまとめてみることにした。「歴史的な資料」として残るであろうし、また「読みもの」としても活用していただけたらそれもまた有り難い。

ところが、調べ始めたら相当の分量になりそうなのである。そこで、整理は少しずつ進めることにして、まずは交流の序章から書き留めておくことにしたい(敬称略、肩書きはいずれも当時)。

① 交流の始まり(前史)

交流のきっかけは、今川乱魚代表の時代〔昭和62年(1982)~平成14年(2002)、東葛川柳会代表〕に遡る。いま正確な資料に当たる時間はないので、概略的に申し上げよう。東葛川柳会と台湾川柳会の交流は、今川乱魚が個人として訪台したことに始まる。

平成6年(1994)7月全日本川柳協会仲川たけし会長の訪台を機に、台北川柳会発足(会長・賴天河、事務局長三村昌弘)。以後、市内の日本料理店「通天閣」を会場として月一回の句会を開催していく。
平成7年(1995)3月今川乱魚訪台。台北市内で開催された川柳句会に参加。賴天河らと親交を深める。当時、台北川柳会は手書きの句報を発行していたが、乱魚からも『ぬかる道』(=東葛川柳会機関誌)を送るようになり、双方の川柳誌の交換から交流が始まった。
(参考資料:江畑哲男・台湾川柳会共著『近くて近い台湾と日本 日台交流川柳句集』新葉館出版

② 本格的な交流へ

本格的な交流が始まったのは、平成17年(2005)。東葛川柳会(第二代会長江畑哲男)が海外吟行句会を計画し、台湾の地を選んでからだった。「一度海外に行きたい」という会員の声に応える形であったが、前史に記した双方の川柳誌の交換を続けていたことが大きかった。川柳会の企画だから、単なる物見遊山にはしたくなかった。どうせ行くなら、吟行句会として川柳の交流もしていきたい。それふさわしいのは台湾しかない! そんな思いから台湾吟行句会が企画され、実現の運びとなったのであった。本格的な国際交流がこの吟行句会から始まった、とも言えるかも知れない。

平成17年(2005)3月の台湾吟行句会参加者は総勢22名、合同句会参加者も日本側19名、台湾側13名の多きに及んだ。

さらには、その後に御礼として頼柏絃台湾川柳第三代会長が来日。東葛川柳会の記念句会に、台湾川柳会を代表して祝辞を述べていただくなど、当会と台湾川柳会の絆と友情はますます深まっていった。

資料として、代表の部屋に『台湾川柳会との交流の年表』を掲載しているので、参照下さい。

年表以外に、江畑哲男の手による巻頭言やその他の資料も掲載している。

江畑 哲男