遊人のユーモア・エッセイ

モンマルトルの武勇伝 続き

遊人のユーモア・エッセイ

この安岡力也は怖かった。体もでかいし英語も上手い、何と言っても声が良い。これで上ずった半オクターブの声だったら、ずっこけをかます所だが、決して期待を裏切らないそれなりの声である。きっとモンマルトル界隈を仕切っている何とか組の名のあるお兄さんに違いない。このお兄さんたちとも、ひとしきり払え払わぬ問答が続いた。東洋人を代表し日本人である私目は堂々とした論理を展開した。論理は堂々としていても英語が下手なので、はたから聞くと単なる酔っ払いが支離滅裂に因縁を付けていると思えたかも知れないが。

主張したのはこうだ。「まず我々東洋人は誰一人としてシャンパンを注文していない。勝手に運ばれてきたものである。まして女性も勝手に来て、勝手に隣に座り、勝手に飲んでいる。東洋の文化では、こういった相手が勝手にしたことはすべて相手の好意でしたこと思われ”Free Of Charge”と相場が決まっている。だからお金は払わない」我ながら見事な論旨であった。フランスの主張はこうである。「女性とシャンパンは付き物であり二つを離すことはできない。女性が付けばシャンパンが出る、シャンパンが出るとお金が上がる、これモンマルトルの掟で何人もいちゃもんは付けられない。最初に女性が来たときに何故『女は要らん』と言わなかったのか。他のテーブルを見てみろ。女性を付けないで楽しんでいる客が結構いるだろう」そう言えば他のテーブルはほとんどカップルで来た客で、結構楽しんで、フランスVS東洋の壮絶バトルを見学している。

なるほど、二つのコースがあったのか。一つは男だけで来てお店の子といちゃいちゃというコースと奥さんや彼女と同伴というコース。納得、納得.......するわけにはいかん。ここでフランス野郎に丸め込められては一生の恥とばかり、「兄ちゃん、そりゃあおかしいよ。大体だね、こっちとら、はるばる東洋の島国から来て、今夜、花の都パリそれも赤い風車のモンマルトルで、あわよくば一花咲かそうと来てるのに、あんな可愛い女の子が来て『お隣に座ってもいいかしらあん』などと言われ、『姉ちゃん、すまねえ。今夜は一人飲みてえから、あっちに行っておくんな』などと言えるとでも思ってんのかよ」と怒鳴ろうとしたが、英語でうまく言えなくて諦めた。

戦略を変えた。お金が無くて払えない、お許し下さいお代官様モードに切り替えたのである。勝ち誇ったフランス野郎は哀れな東洋人三人組を別の小部屋に連行し、ポケットのものを全部テーブルの上に出すよう命令した。戦利品、日本人百ドル紙幣一枚にフラン少少、金目の時計、貴金属類一切無し、台湾人もほぼ同じ。ところが、マレー人だけ部厚いドイツマルクのトラベラーズチェックとご丁寧にパスポートまで持参してきていた。当然、支払いはこのトラベラーズチェックで済ますことになった。

帰りの地下鉄代、数フランをもらい、三人は夜中のモンマルトルに解放された。

その後会議は数日間続いたが、この哀れなマレー人とは話をすることも目を合わせることもなかった。きっと「モンマルトルでは飲むな、日本人の誘いには載るな」を子々孫々に伝えているだろう。

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