事情があって近年、何度か引っ越しをすることがあり、これは以前住んでいた町での話。
散歩が好きなので新しい土地では必ず近所をいろいろ歩いてみる私。
小さい頃から地理は苦手だった。そのせいか頭の中の地図というものは、地域ごとに一枚一枚の紙切れになっているみたいなのだ。
その日はいつもと違う、新しい道を歩いてみた。(ここから先に行ってみたいナ)そう思っていた道。今後住宅街と成るらしくて、新しく造成されつつある所。区画整備がされていたり、盛り土やら雑草のある地帯だ。「この先入れません」の立て札もあったりする。だが、徒歩なら抜けられる。
途中で、犬の散歩のご婦人と一度すれ違っただけ。他に通行人は無く、だんだん道が細くなり、人家も少なく淋しくなっていく感じ。
それでも古くからの民家はポツポツと並んでいて、洗濯物が干してあったり生活感もあるのだから、まだ大丈夫と思っていた。
すると雑木林が見えてきて、この林の向こうはどうなっているのか、少しばかり不安になってきた。
その時、老夫婦が一組、犬を伴なってこじんまりした家から出てきた。どちらからともなく会釈してから、右に行こうか左に行こうか迷っていた私は、思わず声をかけてしまった。「あのお・・・こちらにいっても大きい道路に出られますか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
奥様が品のいい笑顔で答えてくれたので、私の中の小さな不安はストンと落ちてしまい、(よし!行こう)と歩を進める。
そうして雑木林を抜けると、すれ違うのがやっとくらいだけれど、まあまあ車の通りのある道路に出た。そのまま我が家の方角と思われる方向に歩く。初めて歩く道、のはずだが何となく見覚えのある寿司屋の看板店構え、家並みもどこかで見たことがあるような‥。
そこで“あつ!“と気が付いた。あの道だ。「いつか来た道」とは、どこかで聞いた台詞だが、この道は、いつも車でしか通ったことがなかった「いつも来ていた道」だったのだ。ハンドルを握り、運転シートに座ってならばもう何度も通っている道。
けれども、あの道がどうしてここに?となかなか頭の中で地図がつながらないのだ。
頭が錆びついてきたかな、などと思いながら歩き進めると、やっと片側二車線の大きい道路に出た。「百聞は一見にしかず」と言うが「百考も一見にしかず」とでも言いたくなるくらい、この道路を見てようやく頭の中でも道はきれいにつながった。
それにしても、だ。車での移動は目的があり、我が家A地点、あるいはB地点を結ぶ線でしかなかった。それが単純な好奇心から、足で歩いてみると思わぬ所でそれらの動線がつながり、広がりのある地図になった。
足で歩く行為によって、頭の中の一枚一枚だった小さな地図が、ひとつの大きな地図になったとき、地理の苦手な私の中に、ささやかな感動がわいてきた。