とかく人の噂がそうであるように、新聞紙面もまたそうであるように、世間では醜悪な部分ばかりが取りざたされる傾向にあるようだ。醜悪さとは正反対の、良い部分・善なる様子はなかなか伝わりにくいし、残念ながら広まったりはしない。ところがどっこい、この世の中良い話はたくさんある。今月は、そうした話から始めよう。
前号速報でもお知らせしたように、2005年全日本川柳広島大会は、成功裏に終了した。戦後60年の節目の年に広島の地で大会が開催されたことは記憶されてよいであろう。大会記念品の句集『きのこ雲』を改めて手にしながらそう感じた。当会からもツアーを仕立てて多くの参加者があり、意義ある大会の成功にいささかの貢献が出来たように思う。
さて、大会数日後の夜のこと。広島から長距離電話をいただいた。定本広文大会実行委員長からである。用件は、大会選者であった小生への御礼の言葉・ねぎらいの言葉であった。「当日はバタバタしていて、御礼の言葉もよう言えんかった。遠くから都合をつけて来ていただいたのに申し訳なかった」と広島弁でおっしゃる。おしどり川柳家であるイツ子夫人も電話に出られて、「ありがとう」を繰り返された。ほかに用事はなかった。御礼とねぎらいのためだけに電話を下さったのだ。
そう思うと頭が下がった。恐縮もした。「とんでもありません。こちらこそありがとうございました。お世話さまでした。お疲れさまでした。立派な大会でした。私自身は、定例の川柳講座の関係で前日夜遅く広島入りをしたので、前夜祭にも出られないで失礼を致しました……」等々と、あわてて返礼と言い訳をするのが精一杯だった。
定本広文・イツ子ご夫妻とは、番傘の大会等で何度かお目にかかっている。お二人は私の父母と同年代である。そんな関係から、イツ子夫人には顔を合わせるたびに冗談めかして「お母さん」とお呼びしている。大会のお疲れは、お父さん・お母さん、いや違った、広文・イツ子ご夫妻の方がはるかに残っておられるに違いない。にもかかわらず、はるか年下の小生にこうした気配りをされる。一見華やかな大会の成功の陰には、こうした地味な努力の積み重ねが必ずある。改めてそう感じた。改めて、ありがとう。
電話を切って何だか嬉しくなった。心が熱くなった。こんな良い話は誰かに聞いてもらうに限る。そう思って窪田和子幹事に電話をかけた。和子さんは広島県出身である。その和子さんも良い話だと喜んでくれた。さらに私は気配り精神を発揮したくなった。今度は、大阪の礒野いさむ氏にも手紙を書いた。いさむ氏は、日川協の大会委員長の要職にある。そのいさむ氏に、定本実行委員長の気配りや優しさをお伝えすることは、今後の日川協のためにも良いと判断した。
その後のエピソードを一つ。
窪田和子さんからは改めて手紙をいただいている。
善意はこだまする。句会では「悪女」と呼ばれる窪田和子幹事の、人情家の一面を垣間見た思いだった。
話は変わる。もう一つの「その後の良い話」に触れたい。
今度は、台湾吟行会のその後。
台湾川柳会の黄智慧さんが来日中と言う。黄智慧さんは台湾大学を卒業し、大阪大学大学院など日本留学を経て、現在は台湾の中央研究院民族學研究所に勤務されている。ご専門は文化人類学である。おそらく学会の会合で来日されたのであろうが、黄さんから、台湾で会えなかった今川乱魚さんにお目にかかれないか、日本の川柳句会も見学したい、とのご希望が伝えられた。何とか調整して欲しい。依頼主は、台湾吟行句会の立役者たる村田倫也さんであった。調整の末、6月18日(土)に私たちは再会することになった。八丁堀で開かれていた999番傘勉強会で落ち合うことにした。良い話はすぐに伝わる。台湾へご一緒した仲間のお一人である長谷川酔月さんも、秋田から上京する旨連絡が入った。当会大戸和興幹事長や長尾美和さんも加わった。結局、黄さんを囲んで、乱魚・倫也・酔月・和興・美和・哲男の総勢7名で会食をすることになったのである。
秋葉原のワシントンホテルで昼食を共にしながら話ははずんだ。黄さんからは、事前に乱魚氏宛てに質問事項がFAXで送られていた。黄さんの質問は主に次の二点であった。
① 日本と台湾川柳会との縁について。
②海外に於ける日本語川柳の可能性、もしくは川柳の国際性について。
(社)全日本川柳協会会長に就任したばかりの乱魚氏の答えは、明快であった。話しぶりによどみはなかった。多くの資料を携えて、黄さんの質問に応じていた。席上、台湾川柳会の李琢玉会長が近々句集を出版するということにも話が及んだ。琢玉句集の序文は乱魚氏にお願いしたい言う。乱魚氏は快諾。乱魚氏からは、加えて一つのアドバイスがあった。即ち、句集には日本語を知らない台湾の方々に読まれる工夫をされてはいかがか、と。この指摘には、黄さんも哲男も納得。これぞ本当の国際交流と思った。黄さんの満足げな頷きが印象的でもあった。収穫十二分のひとときとなった。
話は横道にそれるが、最近私は英語関係の本を集中して読んでいる。『「英語脳」のつくり方』(和田秀樹著、中公ラクレ新書)、『文科省が英語を壊す』(茂木弘道著、中公ラクレ新書)等々。日本語の本ではない。英語教育に関する本である。いま英会話がブームだ。むろん会話はできないよりできるに越したことはない。そうは思う。ただし、重要なのはコンテンツである。スーパーで野菜が買えるような、マクドナルドでハンバーガーの注文ができるような、そんな英会話=英語力と誤解されては困る。言語を学ぶことは、言語の背景にある文化や国民性を学ぶことなのだ。東葛川柳会十周年の記念出版である『贈る言葉』所収の講演録「英語と川柳」(速川美竹)を読み直して改めてそう感じた。その意味で、乱魚当会最高顧問の句集の英訳・中国語訳は、日本文化の発信として注目に値しよう。琢玉氏の句集も、日台文化交流に役立つ出版物になることを心から願って止まない。
(『ぬかる道』巻頭言、2005年8月号掲載)