中野彌生エッセイ

川柳と共に

中野彌生エッセイ

川柳に関わるようになってから振り返って見ますと、いつの間にか身辺に、川柳の種を捜している自分に気付くことがあります。

元旦の能登半島の震災は、言葉には尽くせない悲惨な災害でしたが、そんな時でさえ川柳に詠もうと考えるのでした。

能登半島裏金疑惑吹き飛ばす

政界の裏金疑惑を見る眼は、一斉に災害の方を向いたように思えました。

川柳を始めた頃、新聞の片隅に載った主婦の投稿をみて、これは川柳になると思ったことがあります。その投稿は主婦が明日から入院すると家族に告げた時、娘が洗濯は誰がするの? 御飯はどうなるの? と訊ねたと言う内容で、直ぐに川柳に詠むべきだと思いました。

妻の入院気掛かりなのは俺の飯

少々大袈裟ですが、主婦を家事の担い手だとアテにする家族の姿は、どこにでもよくある風景です。

川柳に向き会うと、直ぐに思い浮かぶのは古川柳の面白さです。長い歳月、人々の心に留まり続けた古川柳には、庶民生活の機微を捉えた技があります。そんな古川柳に並ぶ句を詠むことが目標でもありますが、勿論容易なことではありません。古川柳で非常に好きな句は、

泣く泣くも良い方を取る形見分け

です。これは初めて川柳に触れた時、非常に惹かれた句ですが、田辺聖子さんも一番好きな句だと著書の中で述べています。悲しい時でさえ形見の品定めをする人間が浮かんで、非常に面白いと思いました。

旨い描写で、これは参ったと思った句は

女湯に起きた起きたと抱いてくる

です。時代の風俗を映し、赤子を抱いて、この時とばかり女湯にくる男の姿が浮かび、面白いと思いました。

人間社会を甘辛く詠む川柳は、楽しくて面白いに違いないと惹かれたのでした。

中野彌生