遊人のユーモア・エッセイ

ゴルフ嫌い

遊人のユーモア・エッセイ

ゴルフが嫌いになった。嫌いになったのには単純明快な理由がある。でも、理由を述べるのはやめておこう。悪いことに、ゴルフを好きな人まで嫌いになった。特に、私よりもうまいゴルファーなど大嫌いになった。ご当人たちにとってみれば、はなはだ迷惑な話だ。別に、私に危害を加えたわけでない。私が彼らのゴルフ代を負担しているわけでもない。ただ、ちょっと私よりゴルフが好きで、私より大分ゴルフの腕前が上なだけである。

昔は、ずいぶんとゴルフをしていた。始めたのが二十代のはじめ。かれこれ五十年以上もゴルフをやっていたことになる。初めて練習場でボールを打ったときのことは今でも忘れていない。生まれて最初のショットである。打ったとたん、ボールは鋭い金属音を響かせ、まっすぐに飛んだ。どこまでもどこまでも飛んでいって、練習場の遠くのネットに突き刺さった。まわりの人は全員驚いた。本人はもっと驚いた。即座に、「道を誤った。プロになるべきだった」と思ってしまった。でも、この一球に私のゴルフの才能をすべて使い切ってしまったらしい。これ以後、これを上回るショットはでていない。

コースにも随分出たが、失敗には事欠かない。でも、失敗を通して、ゴルファーとしての品性だけは磨いてきたつもりである。ティーショットは大体、まっすぐ飛ぶ。問題は最後までまっすぐに飛んでくれないことである。途中からボールが勝手に判断をしてしまう。「これが私の生きる道」と言って、右に曲がったり、左に曲がったりする。そして落ち着く先が林の中や、深いラフになる。ときどきは、隣のコースになる。すなわち、私はボールの自由意志を尊重する極めてリベラルなゴルファーである。だから、二打目は林のとか、ラフの中で、フェアウエイを使うことはめったにない。きれいに刈り込まれたフェアウエイの芝生をいためることもしない。すなわち、私は芝生にやさしい、自然環境を大事にするゴルファーである。ティーショットの後、フェアウエイで、私の姿を見ることは極めて難しい。一緒に回る他の三人もすっかり私の存在を忘れていることが多い。ところが、グリーンの向こう側から、突如、私が現れる。すなわち、私は神出鬼没のゴルファーである。

ある時、こんなことがあった。いつものように二打目は深いラフである。とりあえずアイアンでフェアウエイの真中に出さねばならない。七番アイアンで、思いきってボールの少し手前を叩いた。ナイスショットだった。まっすぐに飛んだ。狙っていたフェアウエイの真中に落ちた。落ちたのがボールであれば問題がなかった。足元を見ると、ボールが残っている。「私、ここに居ますわ」とボールが恨めしそうに、こちらを見ている。クラブを見ると、あるべきヘッドがなくなっている。すなわち、私はボールにやさしい、芝生にやさしい、でもクラブにはちょっと厳しいゴルファーである。

私のゴルファーとしての品性を知っている人は、私がボールを打つときは、決してそばによらない。私の射程範囲には近づかない。真後ろ十メーターあたりでひっそりと息をこらしている。ときどき知らない人は、私の真横にいることがある。完全な射程範囲だ。こんなときは必ず、「打ちますよ」と声をかける。声をかけられた方は、きょとんとしている。まさかこんなところにボールが飛んでこないと信じている。相手のボールをよける運動神経だけを頼りに打つが、こんなときに決まってボールは、その人に向かって一直線に飛んでゆく。驚いて飛び上がって逃げる人は、晴れて、私の怖さを知る人たちの仲間入りということになる。生命の危険を味あわせてしまった方には、心からお詫びを申し上げ、ホールアウトした後で、ビールなどをおごってしまう。すなわち、私は非常に礼儀正しい、律儀なゴルファーである。

でも、最近ゴルフの誘いがめっきり減った。これほど品性の正しいゴルファーなのに、と疑問になる。ゴルフが嫌いのなったわけは、だれも誘ってくれなくなったからである。

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