ぬかる道巻頭言コラム

【『ぬかる道』第455号 巻頭言】
『フツーの忙しさ 』

ぬかる道巻頭言

巻頭言『フツーの忙しさ』

江畑 哲男

今月号はホンネ。

先月まではきつかった。コロナ禍以降、最も多忙な数カ月を過ごした。仕事が後から後から降って湧いて来るようだった。まるで、わんこそばのように。

「フツーの忙しさ」

8月に入って、ごくごくフツーの忙しさに戻った。「フツーの忙しさ」。相変わらずシンドイが、それでも有り難い。会務全般に気を配り、巻頭言執筆の段まで本日やっとこぎ着けた。かく言う本日とは8月10日(日)である。

「フツーの忙しさ」と書いた。もちろん、フツーを普通に書けば、「普通」である。この場合の「フツー」は、若者用語と言われている。

AIに、この言葉の意味を尋ねてみた。

「フツー」は、日本語で「普通」を意味する若者言葉です。日常的な会話で、特に「フツーに」という形で、一般的な感覚や基準に照らして、という意味合いで使われます。例えば、「フツーに考えれば」は「一般的に考えれば」と同じ意味になります。また、「フツーの生活」は、「普通の生活」という意味になります。

……???、正直言って、この解説は物足りない。

もう一例を挙げる。

「フツーに美味しい」。今から15年ほど前にこの言葉を聞いてビックリした。発信者はT高校の男子生徒だった。

再び、AIに聞いてみる。

「フツーに美味しい」は、「普通においしい」の略で、文字通り「普通に美味しい」という意味です。特別に美味しいわけではないけれど、平均的に見て美味しい、つまり、「まあまあ美味しい」というニュアンスで使われます」

……、う〜む。こちらの解釈は明らかに違う!! AIの解説は不充分だ。カタカナ書きに言及もしていない。

AI の解釈に「対抗」してみたら!?

しからば、小生。AIに対抗して、「フツー」を解釈してみた。大胆だが(!)、ヤってみる価値はあった。

AI の解釈について。

前者(「フツーの忙しさ」)ならば、まだ許せる。許容範囲だ。しかし、後者の解釈はまるでダメ。より正確に申し上げるならば、不充分だと指摘したい。
「フツーに美味しい」=「まあまあ美味しい」。ココまではよろしい。不充分と指摘したのはその先、である。
「美味しい」ではなく、「フツーに美味しい」と発信した発言者の真意にまで、AIは踏み込んではいない。このあたりを不肖・江畑哲男が斬り込んでみた(!)。

15年前、男子生徒が発したこのフレーズは、「美味しい」というニュアンスではなかった。「不味くはないが、美味しくもない」という意味だった。「不味い」とまでは言い切れなかったのだろう。それゆえ、「フツーに」という副詞(正確に言えば、形容動詞の連用形)を冠したのである。そう解釈するのが妥当ではないか。
従って、「フツーに美味しい」=「まあまあ美味しい」ではなく、「フツーに美味しい」「あんまり美味しくない」と、ココは解釈すべきところ。少なくとも、この種のニュアンスも解釈の一つとして加えて欲しかった。
男子生徒は対人配慮(「不味い」と言ったら、相手に悪いという気配り)があって、「フツーに美味しい」という表現になったのだと推測される。あるいは、日本人特有のぼかし表現を用いたのかも知れない。

石破茂総理の日本語カ・日本文化理解

話は変わる。

7月2日に開催された与野党党首討論会(日本記者クラブ主催)で、石破茂総理の発言が物議を醸した。日本語を面倒くさいと言い放ったのだ。「移民と日本人」をテーマにした討論で飛び出した発言だった。正確に引用する。

七面倒くさい日本語。日本の習慣を、政府の負担によってでも習得してもらい、外国人労働者に入ってもらう。

この発言は当然ながら批判を浴びた。小生も驚いた。わが国の舵取りをしている総理の日本語理解がこの程度だったことに、唖然とした思いであった。

言語学的に冷静に分析する。「面倒くさい」はもちろん否定的ニュアンスから発する単語だ。「意味がない」とか「煩わしい」とかいう解釈が普通(笑!)だろう。
石破総理はその「面倒くさい」に、ご丁寧にも「七」なる形容まで付け足している。否定も否定、トンデモなく煩瑣である。あろうことか、そんな評価を下したのだ。

こと日本語に関して、小生はウルサイ(笑)。日本語が面倒くさいとなど言いたがるのは、得てして日本語や日本文化を理解しない(出来ない)方たちである。

例えば、「イエス」or「ノー」でしか判断できない欧米語話者。価値判断のすべてを金銭でとらえようとする国家や国民。日本文化への無理解と言えばそれまでだが、総理の日本語力と日本文化の認識にはほとほと呆れている。

参議院選挙の結果に言及すれば、あるべき未来像・国家観を描けない政権与党の敗北であり、総理のあまりにも空疎な日本語の敗北であった。ビジョンを持たない「美辞麗句」では人の心を動かすことなど出来まい。他方、いわゆる「お花畑の平和論」にも支持は集まらなかった。

戦わせて欲しいと願う。

関連。「江畑哲男熱血川柳ブログ」の愛読者から、あるとき嬉しいご指摘を頂戴した。「先生のカタカナ書きには含蓄のあるニュアンスが込められているのですね」と。有り難う。「デシタ」「スバラシイ」「モチロン」「トンデモナイ」、等々。ビミョーな空気を伝えたいと、使い分けを工夫している。よくぞ気づいてくれました。感謝!

「改革」なきところに、前進ナシ

「言うは易く、行うは難し」とは、小生の持論である。『昭和100年』(古市憲寿、講談社)を読んだ。中身のない本だった(失礼!)が、一カ所だけ参考になった。

昭和39年の東京五輪と、60年後の東京五輪。日本人の平均年齢の比較が載っていた。前者は29歳。後者の平均年齢は48歳まで上がっていたそうな。

国家的プロジェクトを腐すのは簡単である。老人はなかなか若者の味方になれない。五輪にしろ、万博にしろ、とかく無駄遣いを憂慮し、心配の方が先に立つ。老成化した世論を味方に付けるのは至難の業だろう。背景にはこうした日本人年齢の高齢化も影響しているのかも知れぬ。

今月号の巻頭言は(も!)ホンネ。ホンネとユーモアは相性が良いのだ。これまた小生の持論である。

最後に大事なホンネ。この度、『ぬかる道』危機突破基金を募集することになった。諸物価高騰折り誠に心苦しいが、即値上げをするにはためらいがある。詳しくは下記をご参照の上、ご協力を切にお願い申し上げたい。

『ぬかる道』危機突破基金へのご協力を
日ごろから、東葛川柳会の活動と運営に対して、ご理解とご協力をいただきまして誠に有り難うございます。心から御礼を申し上げます。さて、ご存じのように東葛川柳会の機関誌『ぬかる道』誌は、そのクオリティーの高さと親しみやすさで、川柳界内外から高い評価を受けているところです。

他方、残念ながらここ数年赤字を計上しております。会計報告の通りです。しかも、『ぬかる道』誌は30年以上値上げをして参りませんでした。できるだけ多くの方々に広めていきたいという思いからでした。しかし、そうした努力も限界に達しつつあります。

諸物価高騰の折、誠に恐縮ですが、『ぬかる道』を支え、質量ともにそのレベルを維持するため、基金を募集することとなりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

   【記】
○ 募集単位:1 口2,000 円(お1人何口でも申し受けます)
○ 募集方法:郵便振替『ぬかる道』誌に振込用紙同封
 (現金の楊合 毎月の句会場にて受け付けます)