ぬかる道巻頭言コラム

【『ぬかる道』第429号 巻頭言】
『川柳のおかげで』

ぬかる道巻頭言

巻頭言『川柳のおかげで』

江畑哲男

あの底知れぬ孤独感というものは、おそらく経験した者にしか分からないであろう。深夜のICU(集中治療室)の孤独、寂寥、無力感。

幸いにも名医の執刀を受けることができた(後述)ので、不安はなかった。痛み止めのおかげで、術後の痛みもさほどではなかった。死の恐怖も不思議に感じなかった。

ただただ、さびしかった。孤独に耐えなければならないということは理解していたものの、やはりそれはつらかった。何もできない・何にもすることがないという現実は、せっかちな自分には受け入れがたかった。病床から見上げるICUの壁面大時計を睨みながら、針の進み具合ののろさを何度も何度も呪った。

入院までの経過

いう訳で、小生が入院・手術に至った経過を説明させていただこう。

3月31日(金)入院を勧告される。4月22日(土)新東京病院(松戸市)に入院、24日(月)手術。病名は、重度心臓大動脈弁閉鎖不全症。術式は、生体弁による大動脈弁置換術であった。
手術は胸骨下部部分を切開して行われた。手術時間はおよそ三時間半。術後はICUに四日間を留め置かれ、5月3日(水)に退院した。

心臓の疾患が明らかになったのは、今から4年ほど前のこと。自覚症状はなかったが、病状は軽くないと言われた。いずれ手術が必要と宣告されたが、悪いなりに3年半以上症状は悪化しなかった。それゆえ、皆さんにもとくに説明をしなかった。説明しないまま4年の歳月が過ぎた。

おかげさまで手術は成功。退院を果たしたのは、大型連休の後半。陽の光がまぶしかった。自宅近くの手賀沼の湖面がキラキラ輝いていた。そのまぶしさが嬉しかった。

その後、経過は順調。術後がとくに大切と言われているので、担当医と相談しながら行動範囲を見定めている。6月上旬現在、週一度外来で心臓リハビリに通い、体力は次第に回復しつつある。体力が回復するのは嬉しい。とは申せ、大きな手術の直後だけにその歩みは遅々としている。

その遅々が何とももどかしい。もどかしさにも耐えなければならないと「精神修行」のつもりで自身を戒めている。皆さんからお見舞いの手紙やメールもたくさん頂戴したが、あえて返信をサボっている。ご免なさい。もうしばらく、術後の小生を静かに見守っていただきたい。もうしばらく、皆さんに甘えさせていただこう。

執刀医ほかスタッフの皆さんに感謝

手術を担当して下さったのは、新東京病院副院長兼心臓血管外科主任部長の中尾達也ドクターだった。広島県出身、男盛りの60歳還暦。心臓外科医30年、心臓外科手術を「天命」と公言しておられる。何しろ、「昨日も手術、今日も手術、明日も手術」と、心臓手術に明け暮れる毎日らしい。すさまじい!一方の小生も「川柳の普及・川柳文化の向上」をライフワークにしている。手術前日にそう申し上げたら、短時間ながら興味深く聞いて下さった。

中尾先生には「薄っぺらでない優しさ」「真の優しさ」がある、そう感じた。医学というのは100%「理系の分野」だと思い込んでいたのだが、先生と接していると「文系的こころ」や「人間くささ」を至るところで感じるのだった。「縁」や「魂」という単語が先生の口からぽんぽん飛び出てくるのが、当初は不思議に思えた。

一般病棟に移ってから、先生のご高著(『いのちを救い、縁を繋ぐ生き方』)を一階売店で買い求めた。本はその日のうちに読了。うつらうつらのなかで感動しながら読んだ。読んでは励まされ、励まされながら読み進めた。
ある日の回診の折り、ベッドの傍らに置いてあった本に気づき、先生自らペンを取り出し、サインをいただいた。そんな気配りも見せてくれる先生だった。

そうそう、二男の嫁から手術前に入った激励メール。ネットで中尾達也先生のことをいろいろ調べた(失礼)ようで、「お義父さん、この先生なら大丈夫!名医ですよ」という趣旨のメールが送られてきた。たしかに。嫁のリサーチに間違いはなかった。
…… おっと、このほか書きたいことはいっぱいあるが割愛しよう。詳しくは、江畑哲男熱血川柳ブログをお読みいただければ幸いだ。

新東京病院のスタッフの皆さんには、ひとかたならぬお世話になった。最新の設備と行き届いた配慮を至るところで実感した。明るい雰囲気もよかった。万事に前向きで、若いスタッフの皆さんからは元気を貰った。リハビリ担当者の褒め上手はさすが。ヤル気を引き出してくれた。

川柳のおかげ

川柳に救われた、川柳のおかげで助かった、そう感じる場面に幾度も幾度も出くわした。

過ぐるコロナ下、本誌では「川柳に救われた」エピソードを幾つも紹介してきたのはご承知の通りであろう。

① 一人暮らしの高齢者からは「川柳のおかげ、おかげ」という手紙をいただいた。川柳をつくることで、自粛・巣籠もり生活にメリハリが付いた。『ぬかる道』の到着を心待ちにしていたという感想も誌上でご紹介した。

② 緊急事態宣言のため、入学直後から登校を禁止された令和2年度の新入生。川柳をセの字も知らないまま、青春の思いを五七五にぶつけた国府台高校の生徒たち。

振り返れば、上のようなエピソードを幾つもご披露してきたはずだ。と、ココまでは他人様の出来事であったが、今回は小生自身が「川柳に励まされる」結果になった。

冒頭の孤独を癒やしてくれたのは川柳だった。入院中、どこでどう情報が伝わったのか、病院スタッフから「ここで一句(如何ですか?)」などと振られたことも一再ではなかった。よせばいいのに、それでは「寝返りの痛みこらえて回復期」などと応答したものだから、すっかり有名になってしまった。入院生活にわずかながら潤いをもたらしてくれた。まさしく「川柳のおかげ」。川柳の持つ人間くささ、川柳の真骨頂に改めて気づかされたのだった。

ところで、皆さん。この機会にメッセ(自由吟)にご投句いただいたらどうだろうか。題詠とは違う長所が自由吟にはある。何を題材にしてもよいという闊達さがある。しかとある。等身大の自分を書いてもよいし、多少のフィクションを織り交ぜてつくるのも楽しいものだ。胸中の思いを吐き、自身の生を刻みつけるという意味で「川柳とうかつメッセ」欄はかっこうの発表の場ではないか。

下手でもいい(失礼!)。気どらなくていい。隔月でも構わない。引き続き、小生が選を担当させていただくつもりだが、この機会にメッセへの投句を勧めておきたい。
なお、今回の闘病記は「メッセ特別コーナー」に十数句掲載させていただいた(13ページ)。編集長に感謝。

エピソードいくつか

入院中のエピソードは山ほどある。紙数の関係で、二つだけ披露させていただこう。

(ア) アレは手術のまさしく直前だった。病室から手術室に向かう直前に句が浮かんだのだ。すばらしい(!)一句だった。看護師さんにお願いして、メモ用紙と筆記用具をお借りした。そこで出来た作品が下記。
「教養が邪魔して怖いとは言えず」。手術直前でなければ浮かばない句だった。それまでも、今回の入院・手術に関して多くの川柳をつくっていた(前月号メッセ参照)が、リアリティという点では上の句に遠く及ばない。

(イ) ICUでも一般病棟でも、小生が心がけた点がある。肉体的にはままならぬ状態だったので、せめて脳の働きだけは衰えさせないようにと留意した。入れ替わり立ち替わりお世話いただく看護師さんの名前を覚えるようにしたのもその一つだった。いったん名を覚えたら、次に来室された折りには、その名前で呼びかけるようにした。
数少ない雑談の機会も逃さなかった。脳の活性化(=抗衰退化)にも役立った。高校時代サッカー部に所属していたリハビリ師には、サッカーの話題を共有。看護師の出身地の話が出れば、その地の名所旧跡を話題にした。有り難かったのは、神戸にしろ、新潟や静岡にしろ、話題に上った地方には小生すべて出かけていたのだった。川柳大会のおかげだし、小生の雑談力のなせるワザでもあった。

入院前後に読んだ本

『流山がすごい』(大西康之著、新潮新書)

いま話題の本。人口増加率トップを独走中。登場する固有名詞はすべて実名。小生も知るお名前にも何人か遭遇した。

『リーダー、3つの条件』(門田隆将・河野克俊著、WAC)

マスコミや政治(家)の劣化が止まらない中での出版。「薄っぺらなリーダーはすぐにメッキがはがれる」(河野克俊)。たしかに!

『いのちを救い、縁を繋ぐ生き方』(中尾達也著、現代書林)

執刀医・中尾ドクターのご高著。前ページ参照。『選択肢なんてないのさ』(句ノ一川柳句集、新葉館出版、R5年4月刊)。ずばり、面白い!句ノ一さんの感性や表現手法とは響き合うものがありそうだ。

『明治維新という幻想』(森田健司、洋泉社)、『呪われた明治維新』(星亮一、さくら舎)

いずれも、明治維新の裏側を暴く本二冊。「歴史は勝者がつくる」と言うが、まさしくその通りであろう。こうした本がフツーに読める日本が有り難い。

『句集 一人十色』(梅沢富美男、ワニブックス)

いま話題の本。オススメ。梅沢富美男さんはエライ!作品そのものよりも、学びのプロセスが参考になるかも?

さてさて、留守中は川崎信彰・永見忠士両副代表をはじめ、スタッフの皆さん・会員各位にお世話になりました。改めて御礼申し上げます。もう入院はこりごり(笑)だが、川柳のすばらしさだけは強調しておく。「川柳のおかげ」「皆さんのおかげ」、本当に有り難うございました。