ぬかる道巻頭言コラム

【『ぬかる道』第430号 巻頭言】
『戻ってきた賑わい』

ぬかる道巻頭言

巻頭言『戻ってきた賑わい』

江畑哲男

東葛川柳会の6月の例会では、参加者が数年ぶりに70名に達した。句会の賑わいが戻ってきた。嬉しい。

6月句会のゲストは加藤当白さんだった。山梨県は南アルプス市からのお目見え、仕事現役の当白さんは、一泊二日の予定を組んで来柏して下さった。その神通力もあってか、佐賀県の真島久美子さんも遠路はるばる駆けつけてくれた。さらに、佐瀬貴子さんをはじめとする茨城県勢、健康上の理由でしばらく欠席しがちだった方々も少なからず顔を見せてくれた。おかげで賑やかな句会となった。

詳しくは、「句会の表情」他をご参照いただきたいが、今月号の巻頭言では「句会の魅力」に改めて触れてみよう。

川柳句会、三つの特徴

川柳の句会というのは、下記三つの特徴を有している。

① 競吟

(ア)一堂に会する、(イ)一つの課題に対して、発想を競い、表現力を競い合う。

② 無記名入札

句箋は原則無記名。名前が書かれていないので、選句は作品本位で判断される。

③ 即日開票

誌上句会は別として、入選かボツかの結果が役1時間後には判明する。会場にいて分かるのだ。この点は句会の大いなるメリットだ。参加者の反応も句会場にいればリアルに伝わってくる。だから句会は面白い。

入選句が披講されると、共感や頷き(時には疑問も)、拍手とか笑いが自然に起きる。その場で同じ空気感を共有することになる。作者の側からすれば、入選の喜びと(大会等では)受賞の喜びもリアルタイムで味わえる。

選者の側も勉強になる。佳句と出会えた喜びは選者冥利に尽きよう。逆に佳句を逸したのではないか、という自省の念も忘れてはなるまい。真贋を見きわめる力があったかどうか、という自問自答が繰り返されることになる(詳しくは、拙著『魔法の文芸―川柳を学ぶ』113ページ以降ご参照を)。

<守り>に入る川柳人や吟社

昔話をさせていただこう。

今成貞雄さんという方がおられた。柏市藤心にお住まいで、当時の老人大学のお仲間と連れだって句会に顔を見せるようになった。東葛発足間もない頃。江畑哲男事務局長(当時)が会務を一身に背負い庶務分担もままならない頃だった、そんな実情を見かねて、受付をはじめとする会務を進んで引き受けてくれたのだった。井ノ口牛歩・熊谷冨貴子・藤倉五十次さんらとともに。のちに牛歩さんは副代表に、貞雄さんはユーモア賞選考委員長や顧問を歴任し、早創期の当会をお支えいただいた。
それはともかく、句会後の一杯会の時に、こんなお願いを聞かされたことがあった。
「哲男さん、哲男さん。一度でいいから<選者>っていうモノをやってみたい。やらせていただきたい。お金を払ってでもいい。老大仲間はみんなそう言うんですよ」と。
会員選者の走りであった。

あれから35年以上経って、とくにコロナ禍以降、シニアの皆さんはかなり臆病になってしまった。何かに挑戦する意欲よりも、現状を維持したいという<守り>の姿勢が目立つ。高齢化は意欲にも影響を及ぼしている。

川柳界全体を俯瞰しても同様だ。かつては吟社間の交流が盛んだった。一カ月に十カ所を超える句会を渡り歩く猛者が何人もいた。関西圏では夜の句会も多かった。昼も夜も句会に精勤する渡り鳥がたくさん羽ばたいていた。

昨今の川柳界はそうではない。どの吟社も<守り>に入っている。会員の囲い込みに余念がない。東葛のように他吟社の句会にお邪魔したりすると、たちまち勧誘の憂き目に遭う。ウブな会員が多いせいであろうか。カモが来たとばかりに、ナンパよろしく勧誘の餌食になったという報告も何件か頂戴している。何事もそうだが、開拓は自らの力でするもの。借り物や拉致はイケナイ(笑)。

選者研究会の挑戦

それにしても、川柳句会の楽しさは際立っている。句会があるから川柳が楽しい。会終了後の一杯会も含めて、人間臭い川柳の最大の特徴にもなっている。

その句会が近頃どうも怪しい。曲がり角に立っている。コロナ禍にもかかわらず、小生が選者研究会を立ち上げた理由はこの辺りにあった。発足の趣旨にこう書いた。

令和2年3月、緊急事態宣言の直前というタイミングでしたが、「選者研究会」(講師・江畑哲男)を立ち上げました。川柳界の現状(川柳人の不勉強、縮小再生産、議論がない、内向き指向等々)に対して危機意識を抱き、ともかく会を創ろう、集まって勉強をしていこうと立ち上げたものです。

選者の責任は大きい。楽しく充実した句会にするためにも、常日ごろの研鑽は欠かせない。
では、近年の句会の問題点を列挙してみよう。

(ア) 選者への当て込み(昔から指摘されてきた問題点)、合点制や賞品、名誉のかかる大会では特に目立つ。

(イ) 個性の消失 句会や吟社の特色が薄れてきた。個性的な主宰も選者もめっきり少なくなった。

(ウ) 下手な選 下手な披講 読み取れない、聞き取れない。句意を理解しない披講さえある。…選者に対する目は、期待が大きいだけに厳しいものがあるようだ。

その選者研究会では、年に数回オープン講座を開講している。6月20日(火)にはmやすみりえさんをゲストとしてお招きした。演題は、「川柳の窓辺から〜わたしの鑑賞術と作句法」。その後、江畑哲男とのミニ対談を経て、甲論乙駁の合評会へと移行した。

昨年の国民文化祭おきなわで、宿題「フルーツ」の選者をお務めいただいたやすみりえさん。自らの選を振り返ってこう仰った。「選者は選んだ作品に責任を持たないといけませんよね。」川柳愛いっぱいの微笑みをたたえながら、そんな思いきった発言をされた。参加者一同、この発言にやや驚きつつも大きく頷いた一瞬であった。この箴言は胸に刻みつけておこう。
話は変わる。表紙2に公募川柳の広告を掲載した。こちらは有料。中面には「白樺文学館基金」協力のお願いを載せた。有料・無料含めて、誌面の有効活用をが図りたい。