中野彌生エッセイ

農水省事情

中野彌生エッセイ

今年は辰年で、私の川柳会の互選は「龍」がお題となり、思いがけなく私の句が望外の票を得ました。

役人の登龍門に閑古鳥

世間では周知のことですが、内閣が官僚の人事権握ってから、役人はすっかり萎縮してしまったようです。
官僚たちは何ら進言も出来ず、能力を発揮する場もなく、昼夜を問わず閣僚たちの答弁用カンニングペーパーの作成に追われ、ほとほと嫌気がさしたようです。
近年、多くの官僚を輩出してきた大学でも、官僚志願者はガタッと減ったとか。登龍門で閑古鳥が鳴くのは誰の責任でしょうか。

花やめて芋植えるころ国は亡し

これは朝日川柳(2023年5月12日付)に載った青森県大橋誠さんの句です。
この句からは、前日の朝刊に大きく載った「食糧増産命令」の法整備案を揶揄しているのだとすぐに分かり出す。

この「法整備を検討」の報道を見て、有事に花農家にコメや芋を強制的に作らせたところで、間に合う筈がないと嘲笑した人は少なくなかった筈です。
この法整備案はどんな手順を踏んで出来たのか、彼らの食糧安全保障に関する提案が、的外れだと思った人は多かったことでしょう。
有事に食糧の輸入が止まった時のことを考えるよりも、平時から食糧は国産で賄うことを真剣に考えた方が良さそうです。

食糧の安全保障の為に直ぐに着手すべきは食糧の自給率をあげることで、それ以外に有効な打つ手はなさそうです。

農業や酪農、漁業を補償し守り育てる財源は首相が外遊をする度に相手国に大盤振る舞いをするODA予算を当てれば済むことです。
国内を賄った後の余剰食糧はODAの相手国へ贈れば非常に有効です。

1993年は異常な冷夏の年でした。日本国内の米作は稀にみる不作で、全国的な米不足に襲われたことがありました。
政府は米不足の緊急事態に、それを補うために夕イ米を輸入したのでした。

その時私たち主婦は、政府が実行した夕イ米の愉人に呆れていたのですが、当時の官僚はそのことを知っていたのでしようか。
日本人の味覚に全く合わない、不味くて食ベられないタイ米の輸入を、誰が決定したのでしようか。
日本国内では、米不足に困窮していたにも拘わらず、不味い夕イ米は食べられないと、買った夕イ米を捨てる人もありました。
夕イ米を作った夕イの農家の人々には、大変申し訳ないことでもありました。

この時の経験からつくづく農水省には主婦の助言が必要だと思いました。

あの時夕イ米ではなく、日本米に似たカリフォルニア米かイ夕リア米を輸人していたならば、きっと日本人の味覚には耐えられたと思うのです。政府の夕イ米輸人は、国民に歓迎されず無駄な浪費に終わり、心底から抗議したいと思ったものです。

食糧の安全保障は大変重要な課題ですが、法整備に踏み出す前に、生産者や主婦の意見も訊いて頂きたいものです。

大橋誠さんの名句から、とんだ食糧安全保障論に飛びましたが、句の背景を想像することも大切だと思います。
如何なる経過を踏んでこの法整備案が出来たのか、この泥縄式の案には、ただ呆れるばかりでした。

よく知られた古川柳に、

役人の子はにぎにぎをよく覚え

があります。昨今の報道からは21世紀も江戸時代も、役人の所業に余り大きな違いはなさそうです。

中野彌生