中野彌生エッセイ

ある夫婦

中野彌生エッセイ

傘寿を過ぎた私は、時々すっかり忘れ去っていた昔のことを、ふっと何の脈絡もなく思い出すことがあります。

髙校1年生だった頃のことで、もう65年以上も昔の話になります。

朝の登校時に、時々一緒になる同じ髙校の絹子さんが道すがらに彼女の兄夫婦のことを話したことがありました。
お互いに家庭の内情や込み入った話などしたこともなかったので、突然絹子さんが兄夫婦の話をして、大層驚いたのを思い出します。

まだ核家族と言う言葉はありませんでした。
当時は家を継ぐ兄が、結婚した後も実家に同居して所帯を同じくすることは極く一般的だった時代のことです。

絹子さんの話では、兄さんの奥さんは夜中に赤ん坊が起きて泣き出すと、兄さんに「起きろ」と言って赤ん坊の面倒をみさせると言うのです。兄さんは眠くても嫂の指示通りに、赤ん坊のオムツを代えたり、抱いてあやしたりするのだと。

彼女のロ調は、明らかに兄夫婦の有り様を不愉快に思っているらしく、嫂のやり方は酷いと感じているようでした。夜中の育児を押し付けられている兄の状況を、情けなく思っているように見えました。

その時代はイクメンと言う言葉など勿論なく、また夜中でも育児に参加する男性など見たこともなかったので、絹子さんの兄さんは貴重な得難い男性の様にも思えました。
私はただ黙って彼女の話を聞いていましたが、一番驚いたことは兄さんの立派なイクメン振りよりも、嫂さんが「起きろ」と言ったことでした。

兄さん夫婦は職場結婚で共働きをしており、当時はまだ車社会ではなかったので、電車かバスまたは自転車などで通勤した時代でした。
嫂さんが仕事と家事に疲れ切っていることは想像できました。
今日では夫婦共に働いていれば、家事も育児も夫婦共に協力して担うのは当然ですが、その当時は絹子さんの批判も頷けるような時代でした。

絹子さんは更に、「嫂さんは他人の奥さんだったのよ。兄は人の奥さんを好きになって奪って結婚したのよ」と話したのでした。
若かった私は、身近にそんな小説のような話があるのかと非常に驚いたものです。

その話を聞いてから少し後に、絹子さん宅の前を通った時、偶然チラッと嫂さんを見かけたことがありました。
嫂さんは二階の手すりに布団を干していました。大柄で肩幅も広く、ずんぐりむっくりの夕イプで少々意外でした。
私の眼には、他人の奥さんでも盗ってしまいたいほど魅惑的かなあと言う疑問が残りました。
男女の仲は端からは伺い知れず、お兄さんは如何に惚れ込んで夢中だったのか、不思議な物語を聞かされた感じでした。

夜泣きをした赤ん坊も65歳を過ぎた筈で、絹子さんの兄さん夫婦はどのような人生を送ったのか、最期まで添い遂げたかなどと、私は要らぬことを考えるのでした。

私はこの話を誰にも話しませんでした。

負けた振り従う振りで平和維持

私の川柳でお題は「いい夫婦」です。

中野彌生