中野彌生エッセイ

パンダとの相性

中野彌生エッセイ

私は非常に好奇心旺盛で、なんでも観たいとか覗き見したいタチなのですが、なぜかパンダだけは一度も見たいと思ったことがないのです。
偶々テレビで、動物園で産まれたパンダを観たことがありますが、パンダとの御縁はテレビ画面を通してその程度のものなのです。
世間ではお金を払って行列を作り、何時間も辛抱強く待ってパンダを観た人たちのことを聞くと、まあまあご苦労様なことでと内心呆れているのです。
「パンダの前では立ち止まらないで下さい」などと言われ、急かされながらもパンダを観たがる人の気持ちが、私にはさっばり解せませんでした。

1972年パンダが初めて日本にやって来た頃、私はまだ若くて小さな公団住宅に住んでいました。
その当時、日本住宅公団が募集する分譲住宅の価格は、2LDKの小さな間取りが450万円から500万円くらいでした。その分譲住宅の抽選は気が遠くなりそうな凄い競争率で、当選は無理だと承知しながらも抽選に申し込み、外れては落胆することを繰り返していました。
他に住宅を入手する方法はなく、何とか当選の幸運を手にしたいと、公団住宅の分譲情報には、全身をアンテナにして注視したものでした。

当時の私たちの住まいには、赤ん坊の為にやっとクーラーを取り付けたのですが、光熱費のことを考えると涼しい生活を満喫する訳にもいかず、ケチケチと節約しながらクーラーを使って、暑い日には何度も水風呂に入って凌いだものでした。
クーラーと言えば、学生時代にはパチンコ屋や喫茶店の冷房設備をあてにして、涼みに出かけると言う話も聞きましたが、それとてお金の要ることで、私はそんなことも実行できませんでした。
その昔、マリリン・モンローの主演映画「7年目の浮気」の一場面で、彼女が同じアパートの住人の部屋に行って、
『おお! エアコンディショナー!!』
と叫んで、羨ましがったのを観たことがありましたが、あの映画は確か1955年頃のアメリカの庶民生活を映していました。
1970年当時の私たちの周辺では、一般家庭にやっとエアコンがチラホラと普及し始めたばかりで、まだまだ贅沢品であり、私たちの住宅設備はアメリカよりも15年以上も遅れていた感じでした。

そんな暑苦しい私の生活を差し置いて、中国から来たパンダには当時3千万円もの高額な予算で、エアコン付きの住まいが上野動物園内に用意されたと報道で知った時、私は心底からパンダに嫉妬したのでした。
私よりもパンダの方が高価な住宅を与えられ、しかもエアコン付きだなんて、私は相当いじけて僻んでいました。
多くの国民が、自分の住む家を獲得するのに四苦八苦している時に、何と言うことかと腹を立てていたのです。
その当時、既にテレビは一般家庭にほぼ普及していましたので、パンダは中国の寒村に置き、自然な生態をテレビで放映すれば良いと思ったものでした。
大変大人げない話ですが、住宅ですっかり差をつけられ優遇されたパンダに、50年以上も経た今でも嫉妬した気持ちが残っていて忘れられずにいるのです。

当時、衣食はまあまあ足りていたのですが、住宅には不満だらけで、上野のパンダに対しても礼節を欠いてしまったようです。
上野のパンダは日本に来て食住を満たされ、きっと礼節を知ったことでしょう。

傷つける柱もなくて背比べ

住宅獲得に右往左往、四苦八苦した私の川柳です。
若き日の私たち世代は、それぞれ程度の差はあれ持ち家ブームに煽られ、庭付き一戸建ての購入に駆り立てられたのですが、老いを迎えた今では、国内の至るところで莫大な数の空き家対策に追われているようです。

中野彌生