遊人のユーモア・エッセイ

居酒屋の常連

遊人のユーモア・エッセイ

私は居酒屋にとってよい客だ。非常によい客だ、と自分では信じている。私が居酒屋にとって非常によい客だと信じるに足る多くの理由がある。まず第一に、店でゲロをはかない。ゲロをはくほど酒が飲めない。出された肴にケチをつけない。ケチをつけるほど味覚が鋭くない。隣の客にけんかを売らない。けんかを売るほど度胸がない。

でも、なんと言っても、お金にきれいなことがよい客である一番の理由だ。つけで飲もうなどと思ってみたことがない。思ってみたことはないが、一応聞いてみることはある。お店の人に、「つけはお断り」と、きっぱりと言われると、すぐに引き下がる。少し金額がかさむと、クレジットカードを出すことがある。ほとんどの場合、「カードは利きません」と、強い口調で言われる。しょうがないなと思いながら、財布の底から、千円札二枚を引きずり出し、1,985円也のお代を払う。15円のお釣りは必ず、もらうことにしている。まちがっても、「お釣りは要らない」などと、いいかげんなことは絶対に言わない。本当にお金にきれいな客である。

これほどよい客なので、すぐに常連客扱いされる。でも、これが、あまり好きではない。席につくなり、「今日は早いね」などと言われると、ぎくりとしてしまう。どうして会社をサボって酒を飲んでいることがばれてしまったのか心配になる。「今夜は一人ですか」と言われると、「えっ、どうしてこの前、二人できたのを覚えているの」と驚いてしまう。それも相手が若い女の子であることも知られてしまっているらしい。この女性が私のことを「パパ、パパ」と呼んでいるのも聞いているようだ。「あの女性、私の本当の娘です。私がちょっと若く見え、娘がちょっとふけぎみなだけで、『パパ、パパ』と呼んでいるのは、本当に『パパ』だからで、私は、いわゆる、その、『パパ』ではない。なんならDNA鑑定でもしてくれ」と最後は興奮して言い訳をしてしまいそうになる。「仕事は忙しい?」ときかれても、答えは決まっている。(忙しかったら、こんなところに来るか)

ときどき隣の客から話しかけられることもある。これもうっとうしい。今夜も隣はお年よりの男の客だ。もうかなり酔っ払っている。足元、手元、首元、みんなよたよたしている。話しかけられても、なにを話しているのか良く分からない。みんな最後は「むにゃ、むにゃ、むにゃ・・・・・」でも、何回も同じような話を聞かされるうちに、なんとなく分かってきた。「今まで一生懸命働いてきた。息子達も育った。みんな家を出て行った。最近はほとんど帰ってこない。長年連れ添った奥さんも数年前に亡くなった。もうこの先、楽しいことはなにもない」、と言っているらしい。これには、少し身につまされてしまった。ちょっと考えこんでしまった。そのうち隣はやけに静かになった。見ると、カウンターで頭を支えて寝てしまっている。

どうせ常連になるのなら、昔、流行った高額所得者番付の常連がよい。あるいは、女性週刊誌がときどき企画してた「抱かれたい男ベストスリー」の常連になりたい。酒が進むと気持ちが大きくなる人が多いようだが、私の場合は逆である。酒が進めば進むほど、謙虚になる。だから、高額所得者番付の常連はとても無理だと、謙虚にあきらめる。「抱かれたい男ベストスリー」の常連もちょっと難しい。「抱かれたい男ベストテン」の10位あたりで我慢をしておこう。

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