半世紀以上も昔の1968年のことです。
当時、ロンドンに在住していた私は、全く予期しなかった「親知らず」のトラブルに見舞われたことがありました。
少し生え始めた親知らずが、歯茎に悪さをして、炎症を起こしたのです。
居住地域の歯科医が診察した結果、病院に入院して抜歯するように手配されました。
それまでの私は、入院の経験など一度もなくて、ロンドンから少し郊外にあるその病院が、入院初体験の場所でした。
緑深い森を背景にした、リゾートホテルのような病院の仔まいを見て、1960年代の日本の病院しか知らない私には、大層贅沢に感じられたのでした。
その病院で上下の親知らずを抜いたのですが、親知らずについては、何の予備知識もありませんでしたので、入院が必要なことに大層驚きました。
麻酔ですっかり眠った状態で、問題の親知らずの抜歯が完了したのですが、顔が別人の様に腫れあがり、顔に幾つかの薄黒い痣が残っていて、誰かと格闘でもしたような痕跡を残していました。その痣は頭部を固定するために、しっかりと器具で抑えた痕のようでした。
私の診療を担当したのは、英国人の若い女医とパキスタン人の若い男性医師でした。
病室は二人部屋で、大きなガラス窓からは、手入れの行き届いた庭園が見えて、まるでホテルで休暇を過ごしている感じでした。
同室の隣のベットには、私と同様に親知らずを抜いた超美人の若い英国人女性がいて、小声で私に話したものでした。
「あのパキスタン人のドクターは、英国人の女を物色しているのよ。すぐに分かるわ。この国の女と結婚したいのよ。ドクターだから永住権は問題ないけれど、英国人女性と結婚すれば、何かと好都合なのよ。私にも熱心にコンタクトしてくるのよ。」
そう言われて見ると、その体格の良いパキスタン人のドクターは、私のところへ回診に来るよりも、より頻繁に彼女のベット脇に来て、親しそうに無駄話をしていくのでした。
その時の私は、写真やニュースでしか見たことのないパキスタンの庶民の姿を、アレコレと思い浮かべていました。
猛暑の埃っぽい路上に、疲れ切ってたむろする人々。痩せてふくらはぎには筋肉が少しも付いていない、細い棒のような脚をした人々の姿が、心象風景にチラつきました。
このドクターは、何故ここに居るのだろうか。彼の助けを必要とする人々が、あのパキスタンには溢れているのではないだろうか。この人は、自分の使命を考えないのだろうかと。
その当時の私は、考えることが非常に若くて一途で、青臭かったに相違ありません。
彼は、自分の国では医療活動をしないのだろうか。彼を必要としている祖国の人々の為に働かないのかと思うと、この快適な病院で安寧を貪っていると思われる医師を、批判的な冷めた眼で眺めていました。
あれからもう、50年以上の歳月が経過しました。
あの頃の私は、本当に確かに若かったと思います。
あのパキスタン人のドクターは、今頃どうしているだろうか。多分英国で家庭をもって、暮らしていることでしょう。
あれからパキスタンが目覚ましく変貌を遂げたとか、暮らし易い国になったとか聞いたこともありません。
あのドクターの選択は、きっと彼にとっては最良で正しかったのだと、そう思うほかはありませんでした。
私の川柳です。
最善策思料する間に時は過ぎ
ふるさとは疎ましくまた恋しくて