ぬかる道巻頭言コラム

【『ぬかる道』第463号 巻頭言】
『公務Vs公務』

ぬかる道巻頭言

巻頭言『公務Vs公務』

江畑 哲男

東葛川柳会の三月句会は下記に述べる事情で小生やむを得ず欠席をした。コロナ禍以降、小生の欠席は初めて?……いやいや、入院加療中の欠席がありましたね。

留守を川崎信彰・永見忠士両副代表にしつかり守っていただいた。句会は滞りなく進行したとのご報告をいただいている。しかしながら、ゲスト選者やご出席の方々には失礼の段があったこと、お許しいただきたい。

台湾人の句碑建立、その除幕式

止むを得ぬ事情の欠席理由を述べさせていただく。

3月28日(土)、「台湾俳句川柳先人句碑除幕式」が岡山県笠岡市内古城山公園内にて開催された。川柳的にも国際的にも大変おめでたいイベントだった。こちらに出席させていただいてよかった。いま、そう思い返している。

台湾人の句碑が出来るというので、小生初めて笠岡市を訪れた。もちろん古城山公園(標高約60m)に登ったのも初めてだった。行って驚いた。同公園は「文学の散歩道」となっており、文学碑が点在していた。とりわけ川柳の句碑が多く建ち並んでいた。壮観だった。

今回新たに建立された句碑は、六基(黄霊芝、廖運潘、李錦上、髙阿香、髙淑慎、頼とみ子の各氏)。当日は天候にも恵まれ、華やかに・和やかに式典が進行していった。皆さん、笑顔。笑顔・笑顔の国際交流となった。

句碑の除幕式にはマスコミも多数駆けつけた。読売新聞、朝日新聞、地元ケーブルテレビ、地方紙ほか。また、この除幕式のために台湾から血縁の方や関係者も少なからず来日されて、ご列席されていた。

川柳関係では、李錦上さんのご子息や廖運潘先生の関係者。残念ながら出席者名簿が配布されていなかったので、その他詳細は不明だが、ほかにもご家族の方や有縁の方がたくさんお顔を見せておられたようだ。

廖運潘先生関連で言えば、台湾でベストセラーになった実録ノンフィクションの『茶金歳月』。ドラマの舞台となった北埔姜阿新洋棲の董事長も来日されていた。名刺には「姜阿新教育基金會」とあって、驚いた。時間がなくて詳しいお話が聴けなかったのは返す返すも残念だった。

式典には地元笠岡市の行政関係者や名士の方々もお祝いに駆けつけ、川柳や俳句を通じた日台親善と国際交流の場となった。意義深いひとときであった。

ホテルでの懇親会と、江畑哲男の講話

山の上での除幕式が終わると、会場を市内のホテルに移し、今度は「日台交流親善句碑建立祝賀会」と相なった。
こちらも和やかに会が進行。

挨拶と乾杯:全日本川柳協会・小島蘭幸理事長、来賓スピーチ:笠岡市教育委員会・大重義法教育長、と続いた。

ユニークだったのは、おなじみの杜青春台湾川柳会代表。午前中から司会の補佐やら通訳やらで大忙し。祝賀会に場を移してからも挨拶や講話の節々に、日本語と中国語を駆使して解説を交える。打ち解けた雰囲気の演出に一役も二役も買っていた。
思わぬ要請が小生に舞い込んだ。

当日、講話を予定していた大学教授が所用で欠席されるという。このため、江畑哲男にお鉢が回ってきた。頼まれれば止むなし。お引き受けするしかあるまい。という訳で、小生が急遽ピンチヒッターを務めることになった。

演題は「日本文化と台湾」とした。食事の場での講話には多少のやりにくさを感じながらも登壇。おおむね、下記のような話をさせていただいた。

  1. 台湾の地で俳句や短歌、川柳の会があるのを多くの日本人が知らない。あの台湾通の故阿川弘之先生(李登輝友の会初代会長)ですら、台湾に川柳会があることをご存じなかったくらいだから。この機会に、日本語で文芸の活動が営まれてきた歴史と事実に改めてご注目いただこう。
  2. 台湾の日本語世代の方々は日本語に誇りを持っておられた。エリートが多かった。「日本語を押し付けられた」なる見方が一部にあるが、大阪経済法科大学の磯田一雄教授などはそんな皮相な見方を一蹴する。日本語で読み書きができることと、それを文芸の活動にまで昇華できる語学力との差を指摘しておられた。
  3. 台湾の近代史。日本統治時代からの約130年を小生なりに解説をした。日本語と日本文化が徹底的に排除された時代(戦後の約40年間)があり、戒厳令下のエピソード(例;蔡焜燦氏)にもいくつか触れた(詳細割愛)。
  4. 令和の今日、日本と台湾は「新たな時代」を迎えつつある。日本語世代ではない杜青春氏が海を越えて活躍し、柔軟なアプローチで台湾川柳会を切り盛りしている。

さらには、本日ご来臨の中国文化大学の沈美雪教授。台湾の大学生向けに俳句コンクール、川柳コンクールを組織し、全土に広げている。このような実践に、新しく、より強い、より深い両国の結びつきを感じ始めている。

……ざっと、こんな話をさせていただいた。

最後のくだりでは、演壇から降りて杜青春さんの手を高々と挙げてみせた。沈先生のご尽力もご紹介したくて、お席に近づいて皆さんにご披露した。日台友好の大きな拍手に包まれながら、代役の講話を締めくくることができた。

式典には約50名、祝賀会には約30名の出席があった。高木勇三実行委員長をはじめ関係者の皆さんのご尽力に感謝しつつ、イベントはめでたくお開きとなったのである。

「高市早苗さん状態」を脱せねば……

眼を世界に転じれば、ロシアの侵略は止まず、中東情勢は混沌の度を増している。世界は大きく揺れ動いている。かくいうわが東葛川柳会も大きな岐路に立っている。

台湾から帰り、岡山の句碑除幕式から戻って、数週間が過ぎた。ヤルベきこと(公用)と睡眠不足で、多少比喩的に申し上げれば「高市早苗さん状態」が続く小生である。

今回のように「公」の用事が重なることが今後もあり得る。そこは東葛。チーム全体の力で乗り切っていこう。