12月25日、本は「愛と死をみつめて」という題名で発売された。しかしこの本が発売される以前に手に入れた人物がいた。コロンビアレコードの新人酒井政利音楽ディレクターだ。彼は作詞家や作曲家のオジさん達とはウマが合わなかった。その為本屋さんに若い人たちに受ける本が出たら、連絡して下さいと名刺を配って歩いた。そのうちの一軒の本屋からまだ発売前の「愛と死をみつめて」の本を差し上げるから読んでくださいと手渡されたのだ。読んでみると「この本を歌にすると売れるはずだ」と感じ、大和書房に行き社長に会った。社長は新人の音楽ディレクターが発売前の本を読んだことに感激し、低価格でレコードの「単独発売契約」を結んだ。
そして酒井ディレクターは作詞家を「まこ」と「みこ」の同世代の女子大生に頼もうとして、雑誌平凡や明星の編集部に歌詞を投稿している女子大生を紹介してくれるよう頼んだ。三人の女子大生が紹介されてきた。そこで「愛と死をみつめて」の本をプレゼントし歌詞をを書くようお願いした。三人の中から大学四年生の「大矢弘子」の歌詞を選んだ。
コロンビアレコードの幹部は「愛と死をみつめて」の作曲を、当社と契約を結んでいる作曲家に頼みなさいと言ったが、酒井ディレクターは、主人公の二人と作詞家が大学生なので、同世代の作曲家を見つけて頼みますと答えた。そして友人の毎日新聞の記者が大阪のNHKの番組を担当しているクラシック系の若い人を紹介してきた。「土田啓四郎」である。酒井ディレクターは彼に作曲とアレンジを依頼した。
歌手は青山和子さんに頼んだ。青山和子さんの話によると「愛と死をみつめて」をいただいたのは冬だったそうで、私はその本を読んでいましたが、あのベストセラーの本の歌をもらった時、私が唄っていいのかなあと驚いたそうです。ドラマレコーディングは三回したそうで、一回目は悲しそうに唄ってと指示され、二回目は強く唄うように、三回目は気楽に唄ってと、そして幹部が協議した結果、気楽に唄ったのが全会一致で選ばれました。この歌を唄う青山和子さんのおだやかなあの表情も幹部から指示されたのでしょうね。ヘアースタイルも女子大生風に変えたそうです。
私が「愛と死をみつめて」という本が、ベストセラーになっていると知ったのは新聞に掲載されてからです。本は更に売れて行き芸能界は大騒ぎになりました。1964年1月にニッポン放送の「ラジオ劇場」でラジオドラマが放送された。
そしてテレビドラマは4月にTBSの「日曜劇場」で、橋田壽賀子が脚本を手がけたが、台本が長すぎるから一回では放送できないので、もう少し短くしてくれと幹部から言われ、橋田寿賀子は短くすることはできないから、2回放送するようにと答えた。「日曜劇場」が史上初めて二回放送になり、どちらも高視聴率を上げ何回も再放送されたのです。
