八十路を過ぎたこの歳になっても、初めて聞いて驚くような話があるものです。
江戸時代の庶民生活や、下町の風俗に詳しい人から聞いたのですが。
その昔、江戸の下町の男たちは、周辺の女たちの気を引くために、自分をどんな風に装って、素敵に見せようとしたかと言うお話なのです。
男たちは、自分を誰よりも目立たせるために、新しいまっさらな褌(ふんどし)を身につけることが、オシャレの定番だったそうです。
褌を見せるなんて、一体いつ見せるのかな?などと考えながら、その話を聞いたのでしたが、下着に注目を集めるなんて、全く意外なことでした。
当時の下町の女たちは、褌姿の男たちを観て「あら! 素敵!」と品定めをしたらしいのです。男前の良し悪しを、褌姿で判定するなんて信じ難い話ですが、確かに祭りなどの様子を見ると、褌を着け、さらしを巻いただけの男が、標準的スタイルだったようです。
当時の褌の価格はどのくらいだったのか、庶民にとって褌を買うことは、経済的に重い負担だったのかは不明ですが、自分の褌を持つ人は少なく、下町の男たちは、貸し褌屋から褌を借りて着用していたようです。こんな話も初耳でした。
肌身に着ける下着を、借りるなんてと驚きましたが、もしかしたら褌は、高価だったのかも知れません。
当時の下町の長屋では、それぞれの家に、あの長い褌を洗って干す場所も無かったらしく、貸し褌屋が広く利用されていたようです。
貸し褌を交換する間隔は、短かくて3日、長い人は10日くらいも使ってから、洗濯済みの褌と交換したそうです。
肌着なのですから、今の感覚からすると、使用期間が長すぎるようにも思われますし、夏場には、そんなに何日も着るのは、ちょっと不潔な感じもします。
そうして使い古した貸し褌は、その先どんな終わり方をしたのでしょうか。
貸し褌の最期については、染色業の人が、先代の親父さんから伝え聞いたものだそうです。
その言い伝えによると、もうこれ以上、貸すには難のある古い褌は、集められて、次は紺屋に渡るのでした。
紺屋はその古い褌を藍色に染めあげて、その染めた褌は仕立て屋に渡るのでした。
仕立て屋は、その古くて藍色に染められた褌をはぎ合わせて、野良着に仕立てるのでした。
出来上がった藍色の野良着は、農家に売られます。
農家では、野良着は限界まで使い切って、もうこれ以上は使えないとなった古い野良着は、また集められるのでした。
それらの集められた、くたびれた藍色の野良着は、細かく刻まれて、さらに餅つき用の臼で、ぺったんぺったんと搗いて、砕かれるのでした。
野良着を搗いて砕いたものから、繊維と藍とを分離させ、それらは、また別の物品になるのでした。
どのような技術で、繊維と藍とに分離させたのかは不明ですが。
その分離された繊維は、古紙などと混ぜ合わせて漉かれ、チリ紙や便所の落とし紙などに再生されたそうです。
集めた藍は固められて、画材として使われたのでした。
江戸時代に、下町で使い古した褌が、藍色の野良着に変身し、また野良着がチリ紙や染料になるなんて、こんな見事な再生システムが存在したことには、感心させられました。
褌は、男たちのオシャレの必須アイテムであり、また徹底的に使い尽くされ、想像もしなかった見事な終わり方をして、大層驚かされたものでした。
私の川柳です。
褌の白が神輿に華を添え
褌の出番がなくて締められず
