我が家の近くの国道には、東京から32キロの標識があります。
この辺りは江戸から八里と言われ、志賀直哉や柳宗悦にゆかりの土地ですが、私たちは特にここを選んで、気に入って移り住んだ訳でもないのです。
1980年秋、ここに家を建てたのは、予算的にやっと手が届いた土地を買ったと言うだけで、他の選択肢を検討する余力はありませんでした。今考えると、随分つまらないことに、精力を費やしたものだと呆れてしまうのですが。その当時は、ボンヤリ呑気に構えていると、土地や資材がどんどん値上がりして、家が買えなくなると言う強迫観念に囚われていたようです。
当時と現在の状況はよく似ており、諸物価が狂乱的に値上がりした時代でした。
待望の新居に入居して3ヶ月ほどで、初めてのお正月を迎えたのでしたが。
元日の早朝、どこからか大きな音量で『年の初めのためしとて、終わりなき世のめでたさを』と言う、あの「一月一日」の歌が聴こえてきたのです。
何だ?この騒音は?と思ったのですが、その騒音の発生源は、近くの小さな店が点在する商店街の拡声器でした。
その歌が気に障わると、益々煩く聞えるようで、その元日は朝から夜まで休みなく、拡声器から「年の初めのためしとて」を聴かされたのでした。
騒音と共に新年を迎えて、とんでもない場所に家を建ててしまったことに気付き、大きな衝撃を受けたのでした。
その時の気持ちは、ここへ入居した当日、家の窓からすぐ傍に、鬱蒼とした杉林を見付けた時の衝撃にも似ていました。
こともあろうに重症の花粉症患者である私が、その元凶であるアレルゲンの杉林の近くに、家を建てたと知った時の、あのショックに似ており、第2弾の衝撃だったのです。
土地を買う時には、商店街の拡声器のことも知らず、直ぐそばの杉林にも全く気付かなかったのですから。
ああ!迂闊だった!もっと慎重に事を運ぶべきだったのに、この一世一代の買い物に大失敗をしたのだと、相当落胆したものでした。
それから間もなく、私の哀れな心境に関連する新聞記事を見付けたのでした。
その詳細は、茨城県在住の画家が、自分の家の傍に設置された拡声器の放送を、差し止めて欲しいと、訴訟を起こしたことを報じていました。
私には、この画家の訴えがとても良く理解出来ましたし、同情もしました。画家の勇気と実行力には、とても真似が出来ないと思い、心底から応援したい気持ちでした。
その訴訟の結果については、如何なる裁定であったのか、残念ながら不明です。
あれから45年の歳月が流れ、今では私の住まいに「元日の歌」が侵入して来ることはなくなりましたが、時々「防災無線」が防災とは無関係の放送をして、何だ!この騒音は!と歯ぎしりをすることがあります。
私の川柳です。
静寂に粗茶ー服で満ち足りる
つつましい暮らしに静寂を求めても、誰も責めはしないでしょう